ご挨拶

ご挨拶

喜びを分かち合う、鮨屋

お鮨を食べるには理由がある。
きっとそれは、人生にとって大切な時間。
自分へのご褒美や、誰かへの感謝、
恋人との距離を縮める時や、
仲間とくつろぐ時かも知れない。

その大切なかけがえのない時間を、
お客さまと共有できる空間を作りたい。
それが「喜びを分かち合える鮨屋」

伝説の鮨職人最後の弟子が大将を務めます
本物の職人が提供する、本物の江戸前鮨を
現代風のアレンジでご提供する究極のお鮨

リーズナブルな価格にこだわるのは、
地域と共に生きてきた先代からのDNA
ポケットマネーでご両親や家族にご馳走できる
そんな幸せな時間を分け合いたい

「喜びを分かち合う鮨屋・三代目だるま鮨」

創業


今から、約百年前のこと
茨城の山あいに生まれた少女・房子は、商人を夢見て十一歳で単身上京、ひとりの青年と出会います。
花街で鮨職人をしていた青年・利は、たいそうモテた色男でしたが、なぜか素朴で勝気な少女に惹かれ、目黒で鮨屋を創業します。
戦争を経て、さら地になったこの土地で二人が誓った思い
― 旨い鮨を提供し、地域とともに生きていく ―

創業者と仲間たち


目黒駅前がまだ広場だった戦後の時代、共同の水場でスカウトした仲間たち。宮川サエ子とヤエ子の姉妹は、その後60年間に渡ってだるま鮨を支え続け、利と房子の最期を看取りました。

日本全体が復興を目指していたその時代。鮨は庶民の生活とともにあり、お祝い、給料日、弔事、何かあれば人が集まって鮨を囲む。店には地方から上京した若手職人が住み込みで働き、一つの店を人々が団結して盛り上げる、そんな時代でした。

二代目


二人の長男・利雄が二代目として店を継ぎ、昭和・平成の時代に渡り、目黒の大衆鮨としてご愛顧いただきました。利雄は目黒駅前商店街の青年部で「さんま祭り」を創設したり、鮨商組合の支部長を務めたりと活動の輪を広げていきます。頑固なイメージのある鮨屋に似合わぬチャーミングな性格が受けて、遠方からのお客様も多く訪れるようになりました。長女の幸子もまた、夫と共に兄夫婦を支えてきました。

突然の閉店


平成31年4月30日、突然の閉店。二代目世代の高齢化により後継ぎがいないまま、昭和とともに断腸の想いで幕を閉じただるま鮨。
報を聞きつけたお客様が全国から駆けつけてくれ、中には涙を流して最後の鮨を食べる常連客の姿も……。

姉妹の決意


むせび泣く常連客の姿、悲痛な想いで店を閉じる両親の姿を前に、娘二人が再建の決意を固めます。メディア会社を経営する姉と三人の子供を女手一つで育てる妹。日々の生活と子育てで精いっぱいでしたが、お店の再建をどうしても諦められず、一晩考えて、売りに出されていただるま鮨を自力で店を買い戻すことを決意します。

三代目


二代目は娘の突然の決意に大反対。経験がないお前たちには無理だと激怒しました。しかし、姉妹の決意が揺らぐ事はなく、お店を買い戻すための会社を設立し、資金繰りに奔走し、会社経営や子育てをこなしながら鮨職人の養成学校に通い、有名店でアルバイトを重ねました。

そんな三代目たちの必死な決意を見た伝説の鮨職人が参画を決め、崖っぷちギリギリのところで、三代目だるま鮨の復活が決まったのです。

喜びを分かち合う鮨屋。創業者・先代がお客さまと共に培ってきたその歴史を背負って歩きだします。